◇ 勝田ラジコンクラブ紹介 (第三号) ◇


<結成33年の歴史>

今回はクラブのイベントがありませんのでしたので結成33年の歴史について少し紹介いたします。
私が茨城県ひたちなか市(旧勝田市)の地で模型店を開業したのが昭和45年12月、若き26才の時でした。
結婚して1年足らずの時、右の左も知らない土地で模型屋を始めることを宣言した時、兄弟、親戚一同大反対、資金援助もなく150万円の資金で7坪の物置小屋を改装してのオープンでした。

★ 寝る暇も惜しんで飛行機の製作に没頭
1日3〜4時間も寝れば十分の生活を続けていましたが楽しかったですね。
女房の実家が農家なので見るに見かねて、米、野菜が届けられるのでのたれ死にしないで頑張れましたから(よめさん様々)

≪会長原下氏との出会いが開運を呼び起こす≫

開業して3ヶ月を過ぎた頃、60スタント機をバンバン飛ばしている人がいるという、噂の原下氏が来店、お付き合いが始まり、Uコン機大会の審査から飛行指導、ラジコン機の知識や技術指導、何から何まで手ほどきを受け、ラジコン歴1年の模型屋の未熟者を本当によく面倒を見てくれたお陰でお客様も増え、店も繁盛していき模型屋人生の私の前にさんぜんと輝き続け33年間ずっと会長を続けてくれているのが写真の原下氏なのです。
時代の移り変り の中で、不心得なトップフライヤー達のグループによってクラグ機能が損なわれ、飛行場を捨て新クラブ立上げなどを何度か行なった事もあり、心の触合い和気あいあいとホピーライフを満喫出来るクラグの体制が確立されている立役者であり功労者であるのです。
ここで原下会長の模型歴を紹介します。

★ Uコンの神様とまで呼ばれたゆえん(おどろきの飛行技術)
Uコン機は目かくしでも何でも出来る・・・何故なら手の延長上に必ず機体があるからだというゴム動力、バルサプレーン、ペーパーフレーンなどの空飛ぶものは会長にちょっと調整してもらうと必ず飛ぶ様になってしまうから競技会前には、会長、会長となって大急がし、ヘリ、飛行機は調整から飛行まで初心者の指導が最優先の『飛行機の主』
――――――だから元気ある限り会長だな・・・と言われているのです。

模型づくし人生の55年

第1格納庫 第1格納庫
第2格納庫(上部) 第2格納庫(下部)
第3格納庫

それでも収納しきれないから第4格納庫が必要になったと悩んでいるのだからお熱の程がわかると思いますそ。
会長:「落としゃいいんだよ!」と心の中で叫びたい私
墜落の楽しみ方(言い訳)ひろうしている私とは対称的です。

《保有機数》会長宅を訪問してビックリ1年を50週として毎週2機づつ飛ばして行っても1年はかかるだろうと言う数には驚きです。?これは大変な数としか言い様がありません。模型歴50年が物語る財産なのです。

★ 零戦に始まり零戦にたどり着くのか?
プロペラ戦闘機は全て作ってみたくなるという

空中戦ローパスどれをやっても大満足!
増えつつあるスケール派の大先陣
写真左  渡辺 副会長
写真右  立山 会計長
★ われらのパイロン仲間
スピードばかりが能じゃない!
スケールパイロン?ウ〜〜〜ン
写真左  北爪 会員
写真右  布施 会員
◎ レギレーションなど関係ない速けりゃいい仲間たち
25チューンド、俺は32だ、何くそ32チューンのニトロ50で勝負だ!
そんなこんなだから後に続く3人(スーパーレクセア製作途中)の完成まで機体が無事かが心配となる。
写真左  金子 会員
円内    菊池 会員
◎後に続く仲間3人(スーパーレクセア製作途中)の完成まで落とすなよ!
ちょっと飛ばすの待ってよ写真をとるから、よし勝負だ!心配的中無残な姿に
やめられない、あの緊張感笑いながら、スパーレクセアを買って帰った金子会員
(原因 エレーベーター舵角のチョイ大きすぎ)
◎ スピードガンを購入した、だが測定できない、インチキ商品かと思ったが150Km/h、位の機体は正面から測定できる。
200Kmはかるく超えているだろう『よし こうしよう』超低空で侵入させるから正面から計ってくれよ・・・誰が計るんだ・・・ああやなこった・・・だらしねえな・・・!こんな会話で笑い声が絶えないわれ ら仲間たち。

《次回は》
行き着くところまで行ってしまった61−91ヘリ軍団
2005初飛行Newモデル紹介などを予定


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