― 勝田ラジコンクラブ情報 ― |
◇原下会長のご逝去を悼み、追悼飛行会を開催
伝統ある勝田ラジコンクラブ(会員68名)の歴史を築き挙げてこられた、原下会長が病気養生相叶わず、11月1日永眠されました。
慈に謹んで哀悼の意をささげ、ご冥福をお祈り申し上げます。
クラブ結成40周年にも及ぶ歴史の中で、永年会長として会の運営、初心者の育成と発展に貢献し続けてこられたその存在感、大きな力であったからこそ会員皆心を一つにし感謝の心で原下会長追悼飛行会開催となったのです。
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◇11月20日(日)朝から雨模様ではありうましたが、参加クラブ員35名と「残念ながら参加できないので」と香料の一包を届けて下さった13名のクラブ員、合わせて48名のクラブ員で略式ながら「クラブ葬」として、原下会長への感謝とご冥福をお祈り献花をを致して、お別れ飛行会を進行させました
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◇当日参加のクラブ員一同◇
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◇追悼飛行会での一番機とさせていただいた筆者の私
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生前の元気な会長の姿を想いうかべながら飛ばすつもりでいたものの、送信機を持った手に力が入らず、悲しみの飛行となってしまい「会長の分まで俺頑張るから・・・・・」と心に刻み、早速と着陸してしまいました。 |
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◇一輪の花を機体につけて会長にお別れ飛行のクラブ員達 |
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◇奥様の愛と理解に支えられた模型人生 |
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雨模様であったためテント内に集められた、原下会長の愛機の数々は今日このお別れ飛行会の席でクラブ員のもとに、形見分けとして引き継がれていきました。
原下会長はクラブ組織の輪の中で、会員相互の絆を重んじ、楽しいからこそラジコンが続けられる・・
自分自身の生き様の中でこの信念が強かったからこそ、初心者への気配り、指導には力を抜かなかったのでしょう。常日頃、飛行場の主として君臨した模型人生の裏には、ただ自分の頑固さばかりではなく奥様の理解に支えられていたことと思っているのです。 |
◇原下会長と歩んだ40数年の模型人生を省り省える
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私が模型屋を開業した時はラジコン機を始めて一年余り、やっと低翼機を飛ばせる様になったばかりの昭和45年の暮れでした。
年が明けて原下会長が来店され、60クラスのスタント機を飛ばしているとの話を聞いて、私はまだ未熟でお客様の指導が出来る程ではないので、「私を含め指導していただけないでしょうか?」
とお願いしてお付き合いがスタート、右も左も解らない見知らぬ地の勝田で、ましてや商売の商も知らずに始めた模型屋の私を支えてくれたことが開運となって、Uコン、ラジコンのお客様で店はトントン拍子の大繁盛を遂げるに至ったのです。
日曜祭日は店を妻に任せて、仲間(お客様)と遊び三昧、平日は朝から夜中まで飛行機作り、このような私の生き様に呼応したように、模型一途の人生で私を支え続けてくれた大恩人の会長が亡くなってしまったのですから沈み込んでしまっている私であっても仕方が無いことです。
筆者の私とのお付き合いの模型人生だけで40年を越えるのですから、写真のチミトロン、OSミニトロンの送受信機を保管してあったことでも、原下会長のラジコン人生の長さ、その経験の深さがお分かりでしょう。 |
チミトロン送受信機 |
OSミニトロン送受信機 |
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◇築かれた勝田ラジコンクラブの伝統は引き継がれていく |
今日の大所帯となった私達のクラブの歴史も決して平坦なものでは無かったのです。飛行場には10数箇所転々とした時代もあり。また、二度クラブを解散して了識ある仲間と再スタートした経験などを踏まえ、平成元年に原下会長と二人で作成したのが現在のクラブ会則となって息づいているのです。
新しく入会される会員には必ずクラブ会則を手渡しており、組織の体制はクラブ会則によって守られているという仲間意識を強く活動を共にしているからこそ会員相互の信頼と強調の
輪が広まっていることと考えているのです。
12月5日(日)開催された総会において、選任された渡辺淳一会長のもとでも、揺ぎ無い団結で維持存続されていくと信じているところです。
「好きなラジコンだから楽しくやろうぜ!」がモットーでこれからも人生イキイキで過ごしたいです。
12月5日(日)開催の忘年飛行会の紹介は、近日中にアップ致します。広報担当 勝ラジ イキイキオヤジ |
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